あんやたん かんやたん 三角食堂

三角食堂

2024年08月30日 07:24





▲おじーが沖縄タイムスに掲載された記事。






▲三角食堂があった場所は昔、戦争の砲撃で
穴が開いておりゴミ捨て場に
なってたそうです。






昭和25年の戦後にこの建物が建ち
電気屋さんとかいろんな業種の
お店だったと聞いています。


▲おじーは最初、同じ普天間の近くで
三角食堂という飲食店ではなく
『ザボン(ジャボン)』という飲食店を
3年間1人で営業していました。
その後今の三角食堂の場所に移り
店名を『三角食堂』として
おばー、ねえさんの3人体制で
新たにスタートしました。
1965(昭和40年)






▲その当時の普天間の地域は活気があって
三角食堂のご近所にも5件くらい
飲食店もあり
宜野湾市役所(現在はりうぼう)や水道局や
郵便局、消防署なども近隣に
密接していたので
お客さんもたくさん。
おばーはお客さんがどっと押し寄せる夢
ばっかり見てたそうです。
ねえさん曰く、おじーもおばーも
若かったからどうにかこなしてたとのこと。






▲現在の営業時間は
お昼時間の短時間の印象ですが
当初は夜中の1時頃まで営業してました。
バーのおねえさんや軍人さんもいっぱい。
7ドルでお店をどうにかまわし
ご近所さんと協力しながら営業してたそうです。






▲現在ではだいぶメニューは
減ってしまいましたが、
「沖縄そばのケチャップ焼きそば」や
「チャンポン」「Aランチ」「Bランチ」「Cランチ」
「チャーメン」「チャプスイ」
「鍋焼きうどん」など
たくさんありました。
「焼き飯」も美味しかったなぁ。
「牛肉の野菜炒め」や「中味のおかず」も
懐かしいです。






▲三角食堂の代表的メニューといえば
「おかず」「煮付」「カツ丼」です。
「おかず」はお店によって具材は
様々らしいですが
三角食堂では野菜炒めに
卵焼きがのったものです。

統計的にはこのメニューたちが
注文されることが多かったです。






▲『煮付』と『カツ丼』に使っていたタレは
おじーが作ったもので、毎日継ぎ足して作って
使用していました。
このタレに漬けた卵でとじない
カツ丼のメニューや
煮付に素揚げのナスを
入れてることとか
おじーのセンスに尊敬します。
また火の入れ方、食材の切り方
調味料を入れる
タイミングとかおじーの絶妙な器用さは
本当に職人だったとなーと思います。





▲おじーもおばーも次の日は
入院って間際まで
厨房に立って料理を作ってました。
おじーの最後に作った料理は
覚えています。
「トーフチャンプルー」でした。





▲SNSの影響で
取り上げてくれた方々が
「カレー」や「玉子そば」に焦点
あててくれたので、閉店間際の注文は
「おかず」や「煮付」を超えてましたね。

▲「カツ丼」は調理に時間がかかって
お客さんへの提供が遅れるということで
メニューから降ろされてしまいましたが
皆さん食べたかったですよね。
私も皆さんに食べて欲しかったのに
ごめんなさいです。





▲おじーは無口で職人気質で器用でした。
あと笑ったお顔がめちゃくちゃ可愛い人でした。
おばーは大らかなテーゲーでした。
お客さんを見て「いっぱい食べさせて」
ねぎらう優しさが素敵でした。
ねえさんはマシンガントークで
面白くてスーパードジっ子でした。
ねえさんの弟さんも今までは
このような接客など、
携わる機会がなかったですが、
もくもくと仕事をこなしてました。
三角食堂の皆さんは
個性豊かで面白くて
ネタが尽きるってことがなくて
ブログで綴る日常は楽しかったです♪


▲たくさんの方々が訪れて、たくさんの料理を
提供して、いろんなことありました。
面白可笑しいことも、ビックリなことも
感動したことも!本当にたくさん、たくさん。

私がいた期間はその一部ですが
三角食堂を私の
「一生の仕事にしたい」と思ってたので
一緒に経験できたこと
嬉しいですし誇りに思ってます。

訪れた方々、三角食堂を
楽しんでくださり、味わってくださり
本当に有難うございます。
皆さんと過ごさせてもらったこと
宝物です。






お越しくださり、ご覧いただき
有り難うございました

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